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北京紀行「川底下村」

北京市の西約90キロの所に、明・清時代から今もその姿を残す川底下村(せんていかそん)と
云う集落があります。  
現在約70戸の「四合院造」の建物がほぼ完全な状態で保存されており、20年ほど前は過疎化
が進み20人程度に減少したとの事ですが当時の村長の尽力で村興しが効を結び現在は30所
帯90人程が住んでいるそうです。
 川底下村は中国語では爨底下村と呼ばれていたそうですが、爨と云う字は釜戸という意味が
あり、この集落の地形が急斜面の谷底にあり、そののように呼ばれているとの事です。

川底下村のおよその位置
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集落の反対側の山の中腹より
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村の入り口にある中国語で刻まれた村名碑
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民家の壁に書かれた「爨」かまどを意味する文字
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中庭を中心に四方向に建物がある「四合院造り」
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四合院の入り口
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急斜面に石垣を築いてその上に建物が建てれれている。
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村で唯一のお土産物の店
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数少ない食堂のかんばん
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村内には空き家や廃屋も結構多く民間だけの力では維持が危ぶまれろ
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この村には若い人が少ないのか老人ばかりのような印象でした。
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川底下村によく似た日本の集落

  北京の川底下村によく似た集落が愛媛県城南町に有りますので紹介します。
ここは四国の豊後水道に面した小さな漁村ですが海岸の急な斜面に石垣を積み重ね
た土地に数十戸の建物があります。

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by tosayosakoi | 2012-04-25 10:37 | Comments(0)  

北京市「798北京大山子芸術村

 4月上旬北京にある「798北京大山子芸術村に行ってきました。
芸術村は北京北東部にある電子部品などを造っていた、元国営の軍事工場の
建物で使われ無くなった建物を絵画や写真、彫刻などのアーティストに貸し出し
アトリエやギャラーとして解放されて国内外のアーチェイストたちが、数多く集ま
っている芸術専科の解放区です。
 広大な敷地にある工場跡の建物を区切ったアトリエやギャラリーでアーティス
トたちが思い思いの作品に取り組み、広場や建物の壁に展示しております。

   芸術村のメインストーリー
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     なにげなく置かれたバイクや自転車が壁画に調和しています。
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   朽ち果てたバイクと木の陰がアートになっています。作者の意図した作品でしょうか?
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   ショーウインドーの飾り物を見る壁画の人物像が面白いです。
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   歩く人までがアートの一部になってます。
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   モニュメントと記念写真の若者
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   芸術村見学に訪れた幼稚園の子供達
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   村内を散策するアフリカ系の外国人
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   廃車の部品で造った巨大なモニュメントです。
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   廃工場の煙突までもがアートに見えてきます。
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by tosayosakoi | 2012-04-18 06:41 | Comments(2)  

インド旅行レポート6 恵まれない人々

 ヒンズー教のカースト制度にアウトカーストという番外の身分制度に属する人々が国民の8%約1億にもいる事は前回にも触れましたが、この人々の生活は我々日本人の想像を絶する極貧の生活を余儀なくされている。
1950年カースト制度は、憲法で禁止されたがヒンズー教のこの制度は5000年の歴史がありインド社会では根強く残っており、例えばこの人々が殺人や轢き逃げの被害にあっても警察は調査もせず、新聞の片隅にも報道されることはないと云う。

 簡単な竹の骨組みに布製の薄いシートだけで造られた家に住む家族
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ゴミ捨て場で遊ぶ子供と野犬の群れ
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板塀の住まいと路上にたたずむ路上生活者
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ホテル近くの路上でホテルから出てくる観光客を待つ物乞いの子供達
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路行く人に物乞いをする親子連れ
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食べ物を求めてさ迷うように歩く子供達
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施しをもらい損ねて涙ぐむ男の子
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by tosayosakoi | 2012-04-08 20:39 | Comments(0)  

インド旅行レポート 5 スラム街 


  経済的にはGDPが世界ランキング10位(2010年) 食料自給率は100% IT関連技術者の世界中に進出など、統計的には豊かな国と云う認識で渡印、デリー(オールドデリー)ブッタガヤ・ブァラナシなどを巡ってきました。

  そこで見た庶民の暮らし振りは、私が今まで行ったインドを含め東南アジア六カ国中で最も貧しい国と云う印象を受けました。 街の至る処に物乞いの姿があり着る物も満足に着ず裸足で車の廻りに群がって来ます。 デリー市内の場末の街では家を持たない人々が道端や公園の街路樹の下で野宿をする姿を散見しました。

  汚い話ですが、早朝には空き地のあちこちで野宿者の野糞など燦々たる光景を目の辺りに目撃し、大きなショックを受けました。
 庶民のこの貧しさと貧富の差の要因がカースト制度にあるのではと思いカースト制度について現地通訳に聞いてみました。 

 カースト制度はヒンドゥ教の身分制度でこの中でも下位のシュードラの人々は隷属として扱われ代々人の嫌がる底辺の仕事を受け継ぎ生涯その生活から抜け出す事が出来無いとのこと,又最下位のアウトカースト(壊された民)に至っては住む家も無く仕事もなく、公園などで野宿同然の生活をし余儀なくされる人々は1億人、インドの人口の8%とい云われて居ます。

 このカースト制度も1950年憲法で全面禁止されては居るが現実には根強く残っており、上から四番目のブァシャ(平民)でも公務員や企業では幹部に登用される事は滅多にないと云う話でした。 結婚についてもカースト制度を超えてのカップル誕生などあり得ないことと云うお話した。

 中国においても貧富の差を感じる事は確かですが、下層階級の庶民でもインドのような身分制 度はなく努力次第では巨万の在を作ることが出来ると聞きますが、インドにおいてはカースト制度の続く限り貧富の差は永遠に無くなることは無いのではと云うのが実感でした。

2月は乾季と云うこともあって砂塵による大気汚染がひどく一日中もやっている。
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沿道は街路樹も建物も粉塵が降灰のように積もっている。
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路上生活者であろうか?空き地で朝の用便をする姿が散見された。
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スラム街から仕事に向かう労働者
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スラム街
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  次回は4月8日頃を予定しております。
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by tosayosakoi | 2012-04-02 11:59 | Comments(0)